備前焼のルーツを求めて 〜平川忠さんの土窯〜
新進備前焼作家・赤井夕希子さんの個展がきっかけで、ご縁ができた平川忠さん。
聞けば、備前焼のルーツを辿って、伊部の山に残る室町時代の窯跡から手探りで土窯を復興させたとのこと。これは是非拝見したい!と、工房にお伺いしました。
▼愛猫ちゃんがお出迎え♩
長船駅から車で10分程の山の中腹に佇む工房。
木漏れ日がそそぎ、風がすうっと通り抜けるとても心地よい空間。
土の香りがかすかに漂う手作りの土間に腰かけ、平川先生、赤井さんからお話を伺いました。
<土のこと>
今の備前焼は、多くが「肥寄(ひよせ)」という長船一帯の田畑の下から採取される粘土が使われている。ひよせは、熊山連邦から流水で運ばれ二次堆積したもので、キメの細かな粘り気のある土。
しかし、備前焼初期には麓からとても重い粘土をわざわざ山の上の窯まで運んでいたとは考えられず、主に山土が使われていたのではないかと平川さんは考え、山に入って土を求めるようになりました。
経験則で、今では、どこに粘土があるのかは「ニオイ」でわかるのだそう。
もちろん、事前に地形や水脈を調べて山に入るのだそうですが、私には、平川さんが山や土の声が直接聞き取れているように感じました。
<師弟関係、「育てる」ということ>
感銘を受けたのは、お弟子さんである赤井さんとの関係性。
お二人の会話から、師弟であっても、互いに作家として対等な立場で互いに意見し合い、学び合割れている様子が伺えます。
赤井さんがおっしゃるには、平川先生から最初に伝えられたことは「自分の頭で考える」ことで、あまり細かな指示はされず、「あなたはどう思うのか」を常に問われているとのこと。
教えることはできても、自ら気づくよう導くのはとても難しいことだと思います。
単に技術や知識を教える「教育」ではなく、自分の頭で考え、独自の感性を養うよう導く平川さんの、師としての在り方に深く感じ入りました。
そのほかにも、現在進行中のアメリカ・アーカンソー州での土窯PJや、過去の異素材コラボPJ、3世紀頃、古代吉備国の神事に使用されていた特殊器台復元PJなど、時間を忘れて色々と伺い、気づけば日も暮れかかっていました。
そして、いよいよ土窯とのご対面!
その形は丸く曲線的で、なんだか懐かしく、心がほっこりと和むような印象。
高温で焼かれて溶けた鉱物が覆い、鈍く光る内部には、神様が宿っているような気配すらします。
中に入ってしばらくぼおっと佇んでみたいような、柔らかなエネルギーを感じました。
昔の備前焼は、こんなところで焼締られてたんだなあ。
今よく使われている登窯と土窯との違いは、焼締に必要な温度で、平川さんによれば、土窯の方が登窯より100度程低くても焼けるそう。土窯の内部にこもる熱と器の土の熱とが作用し合って低温度・短時間で焼締ができるのだそう。
さらに土窯で使用する薪は周囲の山から拾ってきた雑木や間伐材、廃材などで、「土窯は無駄のない・環境に優しいものなんですよ」by平川さん。
土や窯の奥深さにすっかり魅了されました。
「もっと知りたい・学びたい」欲がモクモク出てきます。
次回の火入れは11月頃とのことで、今度は実際に火入れの様子を見学しに行きたいです。