Art・Philosophy・Regionality

大阪から岡山に移住して10年の管理人によるブログ。哲学対話、地域の文化・芸術に関することをアップしていきます。

【哲学カフェ】レポート「社会って、なに?」

2018年2月18日(日)13:30〜15:30、岡山大学 城下ステーションにて、哲学カフェを開きました。テーマは、「社会って、なに?」

 

岡山大学城下ステーションは、3月末で閉じられます。

私が最初にここに来たのは5年前、まだ教育系出版社にいた頃に知り合った岡山大学の職員に誘われて参加した「岡山大学若手職員塾」。

それから転職して岡大職員として大学に携わり、ポートランドで街の仕掛け人に会い、岡山の文化事業に携わり・・・紆余曲折を経て、一市民として、こうして哲学カフェをさせていただいたことに感謝します。

 

まちなかで、こうした、誰もが対等に、平等に議論ができる場が普通にある状態をめざしたいという願いで始めた哲学カフェの進行役。

 

今回は、県外から来られた方や大学生、元高校教諭やNPO職員、看護師・保健師など、多様なバックグラウンドを持つ18名の参加者。

哲学カフェが初めてという方が半分近くで、どんな議論ができるのか、ワクワクした雰囲気の中、始まりました。

 f:id:shiho_lifeisart:20180220211218j:plain

対話の冒頭、「社会」についてどんな風に感じているかを伺ったところ、ある参加者から、「障害者も、健常者も平等に生きていける社会ってどんな社会なのだろう」、という発言があり、「社会とは、守らなければならない約束やルールを共有している状態ではないか」という仮説が提示されました。

 

そこから、「ルールを持つという点では、猿などの動物も同じで、社会は人だけのものではないはず」、という意見が出ましたが、自ら社会と認識できているかが重要、という認識論の観点で検証し、一旦、人間のものとして議論が進みます。

 

次に、社会の成立条件について話し合われました。

「人が二人以上いると社会が生まれる」

「電車の中も社会。会話の有無や関係性に限らず、安心してそこにいられるかどうか」

「ルールや価値観、目的を共有している単位が、社会と言える」

などの意見が出る中、「人はいつから社会にいるのか」という話題になり、「それは生まれた瞬間から死ぬまでだ」「いや、胎内にいる時からではないか」「むしろ、細胞レベルから宇宙まで、社会と言えるのでは」など、社会には空間・時間軸で様々な広がりがありそうだということが共有できてきました。

 

社会がそういった広がりのあるものなら「社会人になる」とはどういうことなのか。大学生の参加者から疑問の声が上がりました。

「学生と社会人の違いってなに? 責任の違いだけ?」

「”18歳選挙権”に戸惑う。社会人じゃないはずの学生が、社会のことを決めるよう求められるのに違和感を持つ。」

「大学にいると、社会に出ていないことを弱点のように言われて苛立ちを感じる。“社会人”という言葉には、そうでない人を追い出す意図のようなものを感じてしまう。」

といった意見が出て来ました。

 

また、「いわゆるコミュニティ的な意味合いでの『社会』と、労働社会・経済社会などの『社会』との違いは何か」

という論点が出、社会はどうやら複数あり、それらが多層的に存在していそうだと参加者の間でイメージできてきました。

 

f:id:shiho_lifeisart:20180220213524j:plain

そんな中、「子育て中のお母さんが『社会と繋がれていない』と不安になる気持ちに共感するのはどうしてだろう」という声があり、ある特定の社会と繋がれていないと不安になってしまうことについて考えてみました。

「社会は複数あって、私たちはそのいずれにも自由に参加できるはず。しかし、世の中は、社会に成果を求め、生産性などわかりやすい指標で優先順位をつけている。だから、本来とても濃密な関係性を持つ社会であるはずの母と子であっても、不安になってしまうのでは」

「1対1の親密な関係は、立派な社会。だから、不安になっているお母さんを元気づけたい。」

「人は、それぞれの社会観を自由に持てる。他者の社会観を押し付けられるべきではないのでは」といった社会観へ展開しました。

 

さらに、「より良い社会の実現のために政治や権力はどこまで必要か」

「社会とコミュニティとはどう違うのか」

「安心できる社会の実現のため、私たちの意識や姿勢として、共感してもらうのではなく、理解してもらうこと、説得しようとしないこと。また、”追い出さない”ことが重要なのでは。」

などの議論に発展していき、2時間があっという間に過ぎてしまいました。

 

「社会」という一つのキーワードで、これだけ多くの論点が生まれたことに驚きました。

個人的には、以前教材企画のためヒアリングした高校生から言われた、「社会って聞くと、遠い感じがする。自分事に思えないのに、"きみは社会にどう貢献するのか”って聞かれるのは戸惑う」という言葉が心に突き刺さったままだったので、今回、その理由がわかった気がします。

私たちは多様な社会に属していますが、それらは、特定の社会に疎外されがちだということ。あの高校生達は、そうした”押し付け”を敏感に感じ取り、無意識的に拒否していたのかもしれません。

 「自由でいる」ことと「追い出さない」こと。「理解する」ことと「受け入れる」こと。 「私と社会」を考えるとき、そうしたことを意識してみたい、と、今は思います。

(写真撮影:鉤流佳典)

 

-------

「哲学カフェ」とは

1992年、パリの街角のカフェで生まれ、日本では1999年から始まった、年齢・性別・職業・経験・社会的立場など、あらゆる違いを超え、誰もが平等に話し合う場。 「お金があったら幸せ?」「平等って何?」「人生に恋愛は必要か?」など、私たちの暮らしに関わるテーマについて、飲み物片手にみんなで話し合い、結論を出すのではなく対話そのものを楽しみながら、共に考えます。